2010年6月24日木曜日

Haruki Murakamiはどう読まれているか

研究室のイタリア人の同僚から「Haruki Murakamiを知っているか」と聞かれた。これまでに「ノルウェイの森」、「ダンス・ダンス・ダンス」、「ねじまき鳥クロニクル」、「羊をめぐる冒険」を読んで、これからも他の本を読んでいきたいという。この男は普段は100%理系のTechnology Geekといった感じの男なので小説などを読むということに驚き、さらに日本の小説を読んでいることに驚いた。村上春樹はノーベル賞候補と祭り上げられたりしており、パリの本屋などでも普通に売られているのを見かけたが、実際に読んだ外国人に出会ったのはこれが初めてであった。本当に読まれているんですね。
私自身は村上春樹には全く興味なし。というか小説というもの自体一切興味なし。なんのために存在するのかすら理解できない。ストーリーを追うのとは別の目的、例えば旅行の企画を立てるための参考資料として購入することはあるが。しかし、村上春樹に関して言えば、彼の作品の解説本で興味深い本に出会ったことがある。
2006年の夏に友人の結婚式で、新婦の指導教官として東大の中文の先生が招待されていた。2次会で一瞬隣の席に座ったのだが、私は中国文学科というところは漢文をやるところと思っていたので「私は高校時代国語が大嫌いで、漢文で唯一覚えているのは君更尽一杯酒くらいですよ、ははは」ということしか話さなかった。ところが2次会の中で、彼の学生さんに自分は四方田犬彦の大ファンだという話をしたら、学生さん達は四方田さんの奥さんは中国文学者でよくお会いするんですよ、と言う話を聞き、「ホウ、それは面白い」、と思った。
家に帰ってからインターネットで検索してみると世界は村上春樹をどう読むかという本が出版されていることが分かった。この本は村上春樹の小説の翻訳を手がけた外国人翻訳家を世界中から招いて行ったシンポジウムをまとめたもので、上記の中国文学科の先生は四方田犬彦や柴田元幸らとともにそのシンポジウムを企画していたことが分かった。さらに調べると、その先生は村上春樹が中国語文化圏、香港、台湾、上海、北京の各地でどのように翻訳され、どんな人たちにどのように読まれ、彼らのライフスタイルにどのような影響を与えているか、また、そもそもなぜ読まれているのか、ということを研究テーマの一つに挙げていた。それを読んだ時点で、中国文学科に対する私の認識が完全に間違っていたということに気がついた。暗い書庫の中で未だかつて誰にも省みられたことがない文献の探索に精を出しているわけでは全くなく、中国語ができるなら自分がやってみたいと思えるような非常に現代的なテーマの研究を行っていたのだ。そんなに面白い研究をしている先生に対し随分つまらないことを言ったものだと後悔した。
さらに後になって、先生とわたしという記事(私が読んだのは月刊「新潮」という雑誌に掲載されていたオリジナルバージョン)の中で、著者の四方田犬彦が東大駒場時代に所属した由良君美ゼミの中の強烈なインパクトを持ったメンバーの一人として記述されていた。この時点で、自分は非常に貴重な出会いをしていたにもかかわらずそのチャンスを生かせなかったということを深く後悔した。今までの人生でそのような経験は他にも嫌というほどあるが、それらの分野は自分が目標を持って努力していた訳ではないのでチャンスが来た時にそれを掴む準備ができていなかったと諦めるしかない。逆にそれ相応の準備をしていた分野ではそこそこのチャンスは掴んでいるはず。上記の中国文学者との一瞬の邂逅をヒントとして、前向きに、せいぜい村上春樹がイタリアでどのように読まれているか、根掘り葉掘り聞いてみようと考えている。
ところで、「先生とわたし」という本は由良君美と四方田犬彦の間の師匠と弟子の人間関係を描いたもので、師匠と呼べるような人と出会ったことがある人にとっては誰でも興味深く読めるであろう。タイトルは夏目漱石の小説の登場人物がモチーフとなっているらしい(「先生」と「わたし」)。私は嫌なあせをかきながらその日のうちに一気に読んだ。人生において、師匠と呼べるような人と一度もであったことがない人は...不幸だと思う。