研究室にいるドイツ人の先生が正式にコロラド大の教授に決まり、今日はDark Horseでお祝いがあった。ドイツの大学と違って簡単に決まるよねと言いい、ドイツの大学でのサバイバルについて話し出した。ドイツの大学で正式な教授となるには"2nd Thesis"を出さなければならないという。"2nd Thesis"という概念はその場に居合わせたメンバーの国々では存在しなかった。"1st Thesis"、すなわち普通の意味の博士論文は通常教授の指導の元仕上げられるのが普通である。これはどこの国も同じである。しかしながら、このようにして書かれた博士論文は必ずしも100%著者の力量が反映されたものとは言えない。また、研究に必要な資金や環境(研究室の部屋、装置類)はほとんどが教授が獲得したものである。大学教授になって研究室を運営していく能力があるかどうかを判断するには自分のアイディアで研究費を獲得して、研究を遂行して成果が得られたことを証明することが必要というのがドイツの大学における昔からの考え方であるという。判断基準にはコミュニケーション能力も含まれる。というのは大学の教授になって学生やスタッフと適切なコミュニケーションが取れない人はたとえ頭だけ良くても研究室を運営できないから。それと比べると、日本は上で述べたようなチェックが甘いので問題がある研究室が多いのだと思う。非常に合理的で、日本でも導入したら良いと思った。
しかしながら問題はこの"2nd Thesis"の合格率というのがだいたい1/4くらいということ。落とされた3/4の人たちはもう一度挑戦したり他の大学に移ったりということは許されず、ドイツにおいて大学に残る道は完全に閉ざされてしまうという。そのような人たちは例えばサイエンスをサポート職業についたり、民間企業に移ったりするという。したがって、アメリカのtenure trackとは全然別物である。聞いていたメンバー全員は口々に「酷い」「誰もドイツで大学教授になんかなりたいと思わないんじゃないか」などと言った。これではドイツの大学教員が家庭を顧みず、崩壊するケースが多いという噂ももっともだと思った。きっと大学だけではなく、あらゆる職業できっと似たような選抜システムが存在するのであろう。ドイツとしての人生は非常にストレスが高いと思われる。これでは国民全体が暗くなるのも仕方がない。それでは暗くなったり性格が悪くなっても仕方がない。その点、日本ではあらゆる職業で運の要素が占める割合が非常に高く、人生のどの時点でも本人にやる気があれば逆転可能と思えるところが素晴らしいと思う。実際にそうかどうか分からないがそういう気にさせてくれる。日本では優秀な学生が大量に修士課程で大学を見限って民間企業に就職し、その人たちが大学を信用していないから博士号取得者を採用しない。それによって日本の社会の精神衛生が保たれているのかもしれない。そう考えると、最初の段落で述べたのとは反対に日本の大学は今のシステムを継続し、大部分の学生に「こんなところに長居しては駄目だな」と思わせる方が社会全体の利益になるのかもしれない。