昼食時にヨーロッパの大学とアメリカの大学のシステムの違いが話題になった。アメリカの大学では大学側が学生の成績を頻繁にチェックし、成績が悪いと退学を迫るという。そうしないとみんな勉強しないため。最近オランダの大学をリタイヤしこちらの大学に移ってきたドイツ人の先生によると、ヨーロッパの大学ではあまりそのようなことはなくて単位が揃うまでダラダラ在籍できるという。ヤバくなったら専攻を変えれば全く問題なし。そのような学生を税金で支えることを社会が許容していることに関してアメリカ人の人たちは理解できない様子であった。ただし、アメリカでも大学院は比較的学費も安く研究室から生活を維持していけるだけの補助が出ることが普通であるので、ベテラン大学院生も存在するという。
アメリカとヨーロッパの大学はシステム上は大いに違いがあるが一つだけ共通点がある。それは博士号を取得することがいわゆる「大学を出る」という意味であること。博士号を取っていないと社会での扱いは日本の社会でいうと高卒や大学中退と全く同じ扱い。実際に給与体系や昇進が全く違った扱いを受ける。私は中学生の時にドイツに住んでいた際にその事実を認識した。今から20年以上前の話だが、ドイツの会社、特に大企業では管理職は基本的に博士号が必須。それ以外にも国会議員や市長なども博士号を持っていることが期待されている。当時のコール首相も法学博士であった。現在のメルケル首相も元物理学者で博士号取得者。当然、博士号取得者がそうでない人と比べて必ずしも優秀とは言えないが、進路を考える際に日本で「今時大学ぐらいは出ておかないとまともな職につけない」と言われるのと同じ感じでヨーロッパでは「博士号くらいとっておかないとまともな職につけない」と言われるのだ。
アメリカはヨーロッパとは少し社会のシステムが異なっているため法律関係者は必ずしも博士号を取得することは要求されていない。しかし、出世したい人はロースクールを出ていることが必須。ここ20年くらいは大統領は全て有名大学のロースクール出身者。クリントンとオバマに関しては奥さんもロースクール出身。理系の場合、ヨーロッパより博士号を取得していることが要求される。そうでないとどんなに優秀でも「技官」扱い。日本の社会ではあまり知られていないかもしれないが、知っている人は知っている事実としてアメリカ入国の際のビザの取りやすさが博士号取得者とそうでない人とでは全然違う。
昨年大学の同級生たちと飲み会の席でそういう話題になったのだが、アメリカに行く段階になってそのような事実に初めて気がついたという人が多かった。私以外の参加者は全員修士で会社に就職した人たちだったのだが、博士課程に進学すれば問題なく学位を取得できたことは間違いないためもったいない話である。彼らが博士課程に進学しなかった理由は日本の企業が博士号取得者の採用に積極的でないため。大学側の視点では日本の企業が自分の頭でものを考える習慣がある人の採用に消極的とか、従順に命令に従う奴隷のような人を取りたいのであろう、などといったことが理由として挙げられる。企業側の視点では会社のニーズに合っていないとか、期待するほど能力がないとかいったことが挙げられているようである。どちらもある程度現実を反映しているのだと思う。
私の観察では博士号取得者とそうでない人とではいわゆる愛社精神に大きな違いがあると思う。当然、若くして組織に入った人たちの方が愛社精神が強い。これは研究所でも当てはまり、ちょっと話しただけでこの人は修士(あるいは学部)を出てすぐ就職したひとかどうかすぐ分かる。研究分野や研究テーマあるいは仕事の中身や職業に愛着を持つのは分かるが、組織に愛着を持つというのが私にはどうしても受け入れ難い。組織に愛着を感じている状態は洗脳されて奴隷化した状態であると思う。したがってお揃いの就職活動スーツで就職活動に励む大学3年生達は奴隷解放以前のアメリカの奴隷市場に自ら進んで自分を売りに行くようなものに見える。個人が組織を愛するほど組織は個人を愛することはない。「ランボー/怒りの脱出」のラストシーンで、主人公が戦争で廃人となった他の軍人を代表する形で述べた「彼らが国を愛したように、国も彼らを愛して欲しい」という有名な台詞がある。奴隷化された状態で真面目に仕事に取り組み、後で洗脳が解けるとランボーのように悲惨な精神状態に陥るに違いない。
博士号を重視するのは欧米だけでなく、韓国、中国、インド、シンガポール、タイ、などの日本を除くアジアの国々も皆同じ。日本は学歴社会だとか、こんな学歴社会の国は他にはないだとか、学歴社会こそが諸悪の根源であると言うような意味のことがマスコミなどで言われ外国の状況を自分で調べようとしない人たちは信じ込まされているであろうが、真相は正反対。韓国の大企業は米国の大学で博士号を取った人たちをバンバン入れており、ソウルは博士号取得者の割合が世界一高い都市として知られている。MITがMaid in Taiwanの略だというジョークがあることでも分かるようにアメリカの理科系の大学院は中国人(または台湾人)の割合が高いことで知られている。インド人留学生も同様に多く、国際会議ではインドなまりの英語をさんざん聞かされることになる。反対に日本では博士課程進学者はどんどん減っている。世界の常識と完全に逆行しているといえよう。理系で博士課程に進学しない人たちの多くは日本限定の常識の犠牲者だと思う。
民間企業はあらゆる業種でトーナメント戦のような状態になっているようにみえる。負け組企業は勝ち組企業に吸収され、今度は勝ち組企業間で勝ち抜き戦が繰り広げられる。このような現象は世界規模で発生しており、最終的には各業界において少数のグローバル企業が市場を寡占する。日本の企業が海外の企業を支配下に置く場合は良いが、日本の企業が海外の企業の傘下に入る場合、基本的には大半の人たちはクビになるのだと思うが、運良く残れたとしても博士号を持っていない社員はそのことが低賃金で雇う為の口実とされるのではないかと思う。人材バンクとしての観点で日本を眺めると、学位がないことを理由に能力の高い労働者を合法的に賃金を抑えることが可能で、しかもみんな真面目で従順なため、外国企業にとっては非常に好都合で魅力的に見えるのではないだろうか。欧米の連中はかつて象牙海岸から黒人を人間としてではなく、家畜としてアメリカや南米に輸出し奴隷として働かせた。日本が21世紀の象牙海岸となり大量の日本人が奴隷として欧米に送られることにならなければよいのだが。残虐という点では中国も欧米に引けを取らない。なにしろ宦官や纏足が発明された国だから。日本人が中国に送られ宦官として中国人のために働かされるくらいだったら、奴隷はまだマシかもしれない。