今日はLiteracy Nightというイベントで夜学校に行った。識字率の低いヒスパニック系の住人を主な対象とした英語教室ではなく、学年末なのでアルバムを編集するというもの。作業自体は日本の卒業アルバムの編集みたいなもの(参加したことはないが)。それ自体はどうということはないが、向かいに座っていた男性の保護者の一人が、日本の「GO」という映画が最高だというので驚いた。予告編をテレビで見たときは、こりゃ放送禁止だろ、と正直思った。
http://www.youtube.com/watch?v=E4IZ_frQO7M&feature=related
日本にはもっと古くから続く差別の歴史があって、たとえば京都には17世紀に作られた古地図に差別民が住む場所と描かれた部分に今でも差別されている人たちが住んでいることを私はこの目で確かめた、その地域は下水道普及率とか高校進学率とか低いらしい、京都って古いお寺と同じようにそんな制度まで保存しているhorribleなところなんですよ、と話した。すると全部知っている、なぜなら自分は日本の部落差別でThesisを書いたんだから、と答えたのでたまげた。
ここからは差別についての私の推察。日本では大昔から社会の大半を占める下層市民である農民(納税者)のさらに下に納税の義務がない非差別民を置いた。農民は下の階層を差別することによってフラストレーションを解消し、最下層の非差別民は農民を監視し反政府活動(百姓一揆など)を政府に報告し、政府から褒美をもらう。両者を対立させることにより批判や攻撃の矛先が政府に向くのを避けることが出来る。徳川幕府の支配が260年も続いたのはそのような対立の構造がうまく機能していたから。現代のアメリカ社会では富の大半をごく少数の支配層が独占し、中間層が少なく、大半の市民が収入が少ない納税者となり、最下層の人たちは実質的に免税状態にある。これで最下層の人々とその上の階層をうまく対立させることができれば長期安定政権が実現しそうだ。日本の政治家が狙っているのもこのような江戸時代的な社会構造なのではないか。ではこれを防ぐにはどうしたらよいかというと、国民一人一人が政府を監視すること。